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仙台高等裁判所 平成5年(う)67号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人沼沢達雄が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官奥真祐が提出した答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一(建造物侵入罪の成否)について

所論は、要するに、

原判決は、被告人が第四七回国民体育大会秋季大会(以下「山形国体」という。)の開会式を妨害する目的で開会式場である山形県総合運動公園陸上競技場に一般観客を装つて立ち入り、もつて人の看守する建造物に侵入したとし、開会式を妨害する目的で入場したと認定する根拠として、〈1〉被告人が当時着用していたワイシャツの背に「天皇訪中阻止」「国体粉砕」「労闘・労活評」などと書かれ、その所持していた書面には同趣旨の記載があるほか、〈2〉その労闘・労活評両世話人会発行の機関紙「プロレタリア民主主義」(一九九二年九月二五日付)に天皇訪中阻止や山形国体反対の記事があり、〈3〉本件後の同年一〇月一二日付の同機関紙及び同機関紙と連絡先等を同じくする史的唯物論研究所発行の統一共産同盟機関紙「現代革命」(同年一〇月五日付)に被告人の本件発炎筒の投てき行為を支持する旨の記事があり、〈4〉本件直前に観客の一部から天皇制を批判する声が上がつたが被告人はこれに呼応するかのようにトラックに飛び出していること等を併せ考えると、被告人の本件発炎筒の投てき行為が何らかの組織的背景のもとに計画的になされたことを推察せしめること、〈5〉被告人の行為の態様や使用した道具からみて、本件発炎筒の投てき行為が入場後の思いつきでなしたとは考えられないこと、を挙げている。しかしながら、そもそも、被告人の信条や所持していた印刷物等から犯罪を推認する原判決の採証方法は、憲法が保障する言論出版の自由を実質的に侵害するものとして許されない上、もし本件発炎筒投てき行為が計画的なものであつたとすれば、被告人は上着を脱いでワイシャツに書かれた前記スローガンが選手や観衆に見えるようにし、あるいは所持していた書面を撒きながら右の行動に出たと考えられるのに、被告人は上着を着用したまま本件を行い書面を撒く行為にも出ていないし、本件後に発行された前記機関紙に被告人の行為を支持する記事がある点についても、特定の社会的事件を支持するか否かは言論出版活動をする各団体独自の考えに任されているのであるから、事件を支持する記事を掲載したことから直ちにその団体と事件とを結びつけることはできない。また、天皇制に批判的な人々が天皇の登場する場面で批判の声をあげるのは当然であつて、被告人もその場面が自己の意見を表明するのに最も適していると判断して行動を開始したに過ぎない。以上のとおり、原判決が挙げる〈1〉ないし〈4〉の事実は、労闘・労活評や統一共産同盟が天皇の訪中や国民体育大会の開催に反対しており、被告人もこれと同様の意見を持つていたことを示すにとどまり、本件行為の計画性を示すものではないし、また、〈5〉の点についても、発炎筒などの道具類を被告人自身が開会式場に持ち込んだという証拠は一切存在しないのであるから、原判決が挙げる右〈1〉ないし〈5〉の事実によつて被告人が入場当初から本件行為を意図していたと推認することはできない。

原判決は、本件開会式場の管理権は財団法人山形県総合運動都市公園公社(以下「公園公社」という。)にあるとした上、被告人の入場行為は、公園公社の意思に反するものであるから建造物侵入に当たるとしているが、公園公社は、国体開催期間中、国体実行委員会に本開会式場を含む競技場等の専用許可を与え、施設の鍵も実行委員会に渡し、観衆の入場の拒否には全く関わつていなかつたのである。原判決は、当時公園公社が施設の巡回等のごく一部の施設維持業務を行つていたことを根拠として、管理権は依然として公園公社にあつたというが、それはあまりにも現実から乖離する判断であつて、むしろ、公園公社には開会式場の実質的管理権はなかつたと認めるのが相当である。しかるに原判決は、被告人の入場が公園公社の意思に反するというだけの理由で建造物侵入罪が成立するとしているのである。

以上のとおり、被告人が本件開会式場に入場したことが建造物侵入罪に当たるとした原判決は、入場当初から本件発炎筒投てき行為等を意図していたとした点及び公園公社に管理権があつたとした点において、事実の認定及び法令の適用に誤りがあるばかりでなく、建造物侵入罪の保護法益は今日では建造物内における利用者個々の私的生活の平穏と解されているところ、本件開会式場は一般の利用に供することを目的とする開かれた建造物であるから、この建造物の本来の性格、使用目的を考慮すれば、入場券を所持して正規の入口から平穏に入場した被告人の入場行為によつて、本件建造物の保護法益が侵害されたとは到底認められず、この点においても原判決には事実誤認ないし法令適用の誤りがあり、これらの誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。

というのである。

そこで、まず被告人の入場行為の目的について検討すると、原判決が挙示する関係各証拠によれば、本件当日、被告人はメインスタンド所在のV-一七-一二番席の入場券を所持して本件開会式場に入場し、午前一〇時前に右の入場券に指定されたV-一七-一二番席に着席したが、その後、再三にわたり席を外し、選手の入場行進が始まるころからは同席に戻つていないこと、同席には紙袋が遺留されていて、その紙袋の中にあつたレインコート入れのビニール袋、「原発への警鐘」という書籍及びこれに挟んであつた栞から被告人の指紋が検出されていること、天皇のお言葉が始まつた同日午後二時三八分ころ、被告人が、カメラを構えながら南フィールド席F席右側の通路付近を前進した上、フィールド席の前に置かれてあつたプランターを越えてトラックに飛び出し、点火した発炎筒を掲げ、ロイヤルボックス方向に約二四メートル走り、その発炎筒をロイヤルボックス方向に投てきしたこと、被告人が飛び出した付近の通路付近には、発火装置のついた発炎筒のキャップ、ナイロン製のセカンドバッグ、カメラ各一点が遺留され、セカンドバッグ内には、防犯ブザー二個、現金三万円、開会式プログラムが入つており、その防犯ブザーが高音を発していたことを認めることができる。

右認定事実によれば、V-一七-一二番席に遺留してあつた紙袋はもとより、南フィールド席F席右側通路付近に遺留された防犯ブザーなどが入つたセカンドバッグ及びカメラも、被告人の所持品であることが明らかである。もつとも、被告人がこれらの物品、殊に、発炎筒や防犯ブザーを入場当初から携帯していたか、入場後に入手したものかは必ずしも明らかではないが、記録上、被告人が入場後に発炎筒や防犯ブザーを購入することが出来たことを窺わせる状況は何ら存しないから、被告人は、これらの物品を入場時から携帯していたか、あるいは入場後に第三者から受け取つたかのいずれかであるというべきところ、被告人自身がこれらの物品を携帯して入場した場合はもとより、入場後に他人から渡された場合においても、そうした被告人の行動自体が、本件犯行が事前に準備されたものであることを裏付けるものというべきである。また、被告人は、開会式が始まる約三時間前に会場に入り、指定された席に着席しながら、その後、再三にわたり席を外し、同日午後一時に開会式が始まるや、選手団の入場行進が始まる前に、双眼鏡等を置いたまま席を立ち、以後席に戻つていないというのであり、こうした被告人の行動は、被告人が単なる一般観衆として入場したのではないことを窺わせるものである。

また、関係証拠によれば、被告人が当時着用していたワイシャツの背に「天皇訪中阻止」「国体粉砕」「労闘・労活評」などと書かれ、その所持していたアジビラには「日帝・天皇制への糾弾状」等と印刷されていたこと、労闘・労活評両世話人会発行の機関紙「プロレタリア民主主義」(一九九二年九月二五日付)に天皇訪中阻止や山形国体反対の記事があり、本件後の同年一〇月一二日付の同機関紙及び同機関紙と連絡先等を同じくする史的唯物論研究所発行にかかる統一共産同盟機関紙「現代革命」(同年一〇月五日付)に被告人の本件行為を支持する旨の記事があること、本件直前に観客の一部から天皇制を批判する声が上がり、被告人はこれに呼応するかのようにトラックに飛び出していることは、原判決が事実認定についての補足説明の項で説示するとおりであるところ、これらの事実は、所論も認めるとおり、被告人が天皇の訪中や国民体育大会の開催に反対する労闘・労活評の主張に同調していたことを示すものであるのみならず、本件が組織的背景のもとに行われた行為であることを窺わせるものというべきである。

なお、所論は、被告人の信条や所持していた印刷物等から犯罪を推認する原判決の採証方法は、憲法が保障する言論出版の自由を実質的に侵害するものとして許されないというが、原判決は、被告人の信条や所持していた印刷物から被告人の入場の目的を推認しているに過ぎず、これらの信条ないし印刷物の内容の当否を問題にするものではないから、何ら言論出版の自由に制限を加えたことにはならず、右の所論は理由がない。

また、所論は、もし本件発炎筒投てき行為等が計画的なものであつたとすれば、被告人は上着を脱いでワイシャツに書かれた前記スローガンが選手や観衆に見えるようにし、あるいは所持していた書面を撒くなどの行動に出たと考えられるのに、被告人は上着を着用したまま本件を行い、書面を配付する行動にも出ていないとして、原判決の認定を非難するが、仮に、被告人が本件に先立つて所論のような示威行動を取つたとすれば、その段階で主催者側からの規制を受けたと考えられ、この点は計画性を否定する論拠にはならないものというべきである。被告人が事前にこうした行動に出なかつた事実は、却つて、被告人が天皇のお言葉が始まるのを満を持して待ちかまえていたこと、即ち被告人の行動が計画的なものであつたことを示すものということもできるのであつて、いずれにしても、この点に関する所論は理由がない。

次に、本件会場の管理権について検討すると、関係各証拠によれば、本件会場は、山形県営の総合運動公園の中にある陸上競技場(敷地面積四六三五一平方メートル、グランド面積二四八九九平方メートル)であつて、グランド外周西側には鉄筋コンクリート四階建、面積四〇二九平方メートルのメインスタンド、外周の南北及び東側には面積合計一万四六〇平方メートルの芝生スタンドがあり、芝生スタンドの外周りは土盛りした上鉄棚が巡らされ、周辺に設けられたゲートには施錠設備があること、山形県は、平成三年六月ころ、同県都市公園条例に基づいて設立された財団法人山形県総合運動都市公園公社(公園公社)に対し、右運動公園諸施設や付属する物品の維持管理、利用者の利用申請に関する事務、利用者への便宜供与、並びにこれらに付帯する業務を委託し、以後、これらの業務は公園公社がこれを行つていたが、同公園内にある個々の施設のうち有料とする施設の選別、利用申請者に対する許否の決定、利用上の禁止事項等、その公園の運営の根幹に関する事項は、公園公社に管理を委託した後も、条例の定め等に基づき、山形県がこれを行つていたもので、陸上競技場の利用に関しても、その利用申請の受理などの事務手続は公園公社がこれを担当していたもののその許否は全て山形県知事がこれを行うべきものとされていたこと、山形国体が開催されるのに伴い、山形県は同国体実施本部を設置するとともに、同県の国体担当職員、同県議会議員、教育関係者、旅館業者らをメンバーとする国体実行委員会が設置されたが、同実行委員会の事務局は同県庁内に置かれ、その会長には同県知事が、総務部長には同県国体局長がそれぞれ就任し、同実行委員会の意思決定は同県国体実施本部などとの協議のもとに同一の方針にしたがつて行われていたこと、国体の開催に先立ち、同実行委員会から公園公社に対し、陸上競技場等の競技施設の専用許可申請が行われ、同公社は、その申請を受理した上、山形県知事に対しその許可申請書を送付し、同県知事の許可を得た上、許可書を右実行委員会に交付し、施設出入口の鍵等も実行委員会に交付したこと、なお、同国体の開・閉会式等の入場券の発行に関する事項は全て県の実施本部がこれを行い、公園公社は全くこれに関与しなかつたこと、本件当日、同県国体実施本部及び会場所在地である天童市の国体実行委員会は、開会式会場の各ゲート前など二二箇所に、縦一・五メートル、横〇・八メートルの掲示板を設置したが、右各掲示板には、第四七回国民体育大会山形県実施本部国体総務部長及び同大会天童市実行委員会実施本部本部長の連名による注意事項として、「当会場において示威又は喧騒にわたる行為をすること、兇器その他危険物を持ち込むこと、その他べにばな国体開・閉会式等の運営及び進行を妨害するような行為をすることを禁止する旨、ゼッケンを着用しようとするときは国体総務部長の許可を要する。」旨記載されていたこと、を認めることができる。

右認定事実によれば、本件開会式の会場である陸上競技場は平成三年六月ころ以降公園公社の管理下に置かれていたものであり、国体開催期間中は、山形県知事の許可に基づき、一時的に実行委員会がこれを専用し得るものとされていたに過ぎないから、本件当時における同競技場の管理権は依然として公園公社にあつたというべきであるけれども、もともと同競技場の利用の許否は山形県知事の権限に属し、公園公社にはその許否を決する権限はなく、本件開会式の入場券の発行等に関する事項は全て同県国体実施本部がこれを行い、また国体実行委員会の意思決定は同県との協議のもとに同県の方針にしたがつて決せられていたのであつて、公園公社には、県の意向に反して競技場の利用者ないし入場者を選定する権限はなかつたのであるから、県の国体実施本部が設定した禁止事項に従わないおそれのある者について、公園公社がその入場を許可する余地はなかつたことが明らかである。そして、前記のように、本件当日会場のゲート等二二箇所に設置された掲示板には、会場内での示威又は喧騒にわたる行為など、行事の運営及び進行を妨害する行為をすることを禁止する旨明記されていたのであるから、右禁止事項に抵触する行為を行う意図を有する被告人の入場が公園公社の意向に反するものであつたことは明らかである。

なお、所論は建造物侵入罪の保護法益は今日では建造物内における利用者個々の私的生活の平穏と解されているところ、本件開会式場は一般の利用に供することを目的とする開かれた建造物であるから、この建造物の本来の性格、使用目的を考慮すれば、入場券を所持して正規の入口から平穏に入場した被告人の入場行為によつて、本件建造物の保護法益が侵害されたとは到底認められないというが、建造物侵入罪の保護法益を建造物の管理権と見るか、建造物利用の平穏と見るかはともかくとして、他人の看守する建造物に管理権者の意思に反して立ち入ることは、その建造物管理権の侵害に当たることはもとより、一般に、管理権者の意思に反する立入り行為は、たとえそれが平穏、公然に行われた場合においても、建造物利用の平穏を害するものということができるから、本件について建造物侵入罪の保護法益の侵害はない旨の所論は採用できない。

以上によれば、被告人が山形国体の開会式を妨害する目的で開会式場に一般観客を装つて立ち入り、もつて人の看守する建造物に侵入したと認定した原判決は正当であり、記録を精査し当審における事実取調べの結果を考慮しても、原判決には所論の事実誤認も法令適用の誤りもない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二(威力業務妨害の成否)について

所論は、要するに、

原判決は、威力業務妨害罪が成立する根拠として、〈1〉天皇のお言葉が始まつた直後、南フィールド観客席前部にいた被告人が防犯ブザーを作動させ、燃焼した発炎筒を手にトラックに飛び出し、「天皇訪中反対」などと叫びながらロイヤルボックス方向に発炎筒を投げたこと、〈2〉その発炎筒は観客席に落下し、観客の雨合羽に穴が空き、クーラーバッグに焼け焦げができたこと、〈3〉その結果、観客、係員、選手団を騒然とさせ、被告人の行為や観客への対応によつて、係員は一時持ち場を離れざるを得ない状態に至らせたこと、を挙げている。しかし、被告人がブザーを作動させるのを見たものはなく、ブザーの音を聞いた時間についても目撃証言にはばらつきがあり、これら目撃者の証言によつては、被告人がこれを作動させたと認めることはできない。また、被告人がトラックに出ることを事前に制止されるのを慮つて周囲の人々の気を逸らすためにブザーを作動させた旨の原判決の推測は、人は音の出る方に注目するのが普通であつて音を出すことで周囲の人の気を逸らすことはできないという常識ないし経験則にも反するものである。被告人が本件行為に出る前に、会場には天皇制を批判する声があがり、会場内に動揺が蔓延し会場の静粛さと秩序が崩れていたのであり、そのような状況下でなされた被告人の本件行為は、客観的に見ても他人の意思を制圧するに足りるものとはいえない。そもそも国民体育大会はスポーツ行事であるから、その開会式は幾分騒然としていても差し支えはないのであつて、静粛、厳粛を保つべきであるという発想は、国体が天皇制行事であることを前提とするものであり、被告人の行為により国民体育大会の業務が妨害されたとは到底認められない。したがつて、威力業務妨害罪の成立を認めた原判決には事実の誤認があり、ひいては法令の適用の誤りがあつて、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

というのである。

しかしながら、まず、防犯ブザーに関する所論について見ると、前記認定の状況からすれば、被告人がトラックに飛び出すに先立つてこのブザーを作動させた事実を優に認めることができる上、周囲の観客がこのブザーの音に注意を奪われ、その後の被告人の行動から目を放す可能性は十分あると考えられ、この点に関する原判決の説示は不当ではない。また、その防犯ブザーは、被告人がトラックに飛び出したころからしばらくの間鳴り続け、青森県選手団の一員である鳴海嗣巳が足で踏みつけてようやくこれを止めることができたのであつて、その間、会場は被告人の行為によつて騒然となつていたのであるから、個々の観衆がブザーの音を聞いた時点に若干の時間的ずれがあるとしても格別不思議ではなく、それによつて防犯ブザーの作動時期に関する原判決の認定が左右されるものではない。

所論は、被告人が本件行為に出る前に、会場には天皇制を批判する声があがり、会場内に動揺が蔓延し会場の静粛さと秩序が崩れていたと主張するが、前記認定のとおり、被告人はこうした天皇制批判の声に呼応するかのように、その声が上がると間もなく、防犯ブザーを作動させた上トラックに飛び出しているのであつて、被告人の右行為の時点では、未だ会場内に動揺が蔓延し会場の静粛さと秩序が崩れていたとは認められない。そして、被告人が投げた発炎筒は、フィールド席にいた観衆の右上腕部後部に当たつた後、付近の観衆のクーラーバッグ付近に落下し、その際、観衆が着用していたビニール製の雨合羽が溶けて穴が空き、クーラーバッグに焦げ跡を生じさせたほか、発炎筒が落下した付近の観衆や防犯ブザーの遺留場所付近にいた観衆が、それが爆発物かも知れないとの不安に襲われるなどして総立ちとなり、フィールドに整列して天皇のお言葉に聞き入つていた各都道府県選手団やメインスタンドなどからこの状況を見ていた他の観衆の一部の者も異常な事態の発生に動揺し、会場内は一時騒然となり、天皇のお言葉を聴取することが困難となつた者も少なからず存在したことなど、被告人の一連の行為によつて開会式場に混乱が生じた状況は、原判決が事実認定に関する補足説明の項で詳細に説示するとおりである。

所論は、そもそも国民体育大会はスポーツ行事であるから、その開会式は幾分騒然としていても差し支えはないのであつて、静粛、厳粛を保つべきであるという発想は、国体が天皇制行事であることを前提とするものであるというが、国民体育大会は、開催都道府県、文部省及び財団法人日本体育協会の共催のもとに全国から選手団を招いて行われる公式行事であつて、その開会式が静粛な雰囲気のもとに行われるべきものであることは、天皇、皇后の御臨席の有無にかかわらず、当然のことというべきであるし、本件における会場の混乱は幾分騒然としたという程度にとどまらなかつたのであるから、この点に関する所論は採用できない。

そして、多数の国体関係者や各都道府県選手団が出席し、二万人を超える観衆が見守る開会式場において、天皇のお言葉が始まると間もなく、突如、防犯ブザーを作動させ、点火された発炎筒を掲げてトラックに飛び出し、その発炎筒をロイヤルボックス目掛けて投げつける行為は、観衆その他の出席者らを不安にさせ、静粛に開会式の進行に従おうとする観衆らの意思を制圧して混乱状態を惹き起こすに足りるものであり、かつ、そうした観衆の不安が会場内に広がることによつて、主催者側の開会式の進行業務を阻害する事態を生じさせるに足りるものであることは明らかであつて、現に、被告人の行為により、開会式の進行が中断することはなかつたとはいえ、前記のような混乱状態が生じ、観衆らにおいて天皇のお言葉を聴取することが困難となる等、開会式の進行が阻害されているのであるから、それが威力業務妨害罪を構成することもまた明らかである。

そうすると、被告人の本件一連の行為が山形県など国体主催者の業務を妨害したものであるとして、威力業務妨害罪の成立を認めた原判決の判断は正当であり、原判決には、所論のような事実の誤認も法令適用の誤りもない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三(抵抗権の主張)について

所論は、要するに、

原判決は、抵抗権の主張を排斥するにあたり、抵抗権の要件として、〈1〉それが認められるのは民主主義の根幹に対する重大かつ明白な侵害が行われ、憲法の存在自体が否認されようとする場合であること、〈2〉正当な秩序の再建のため最後の手段として行使される場合であることを挙げながら、国民体育大会の開会式で天皇がお言葉を述べることの事実上、法律上の当否について何ら判断することなく、本件は憲法の存在自体が否定されようとする場合に当たらないとしているが、国民体育大会の開会式で天皇がお言葉を述べることは、天皇の国事行為に該当しないことはもとより、私的行為でもなく、憲法上及び法律上全く根拠を欠く天皇の公的行為であることが明らかである。このように、国家権力による憲法秩序の無視、破壊が行われるときこれを是正する実定法上の手段はそもそも存在しないから、抵抗権の行使が是認されるべきなのである。本件が憲法の存在自体が否定されようとする場合に当たらないとした原判決には、抵抗権の解釈と適用に関し誤りがあり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

というのである。

しかしながら、所論がいう天皇のお言葉の法的性質については議論の存するところであつて、所論はその一つの見解に過ぎないし、こうした議論は、憲法秩序の中で十分になし得ることはいうまでもなく、いずれにしても、本件がいわゆる抵抗権の理論を適用するのに適しないものであることは、原判決が違法性阻却の主張についてと題する項において説示するとおりであるから、この点に関する原判決の判断は正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井登葵夫 裁判官 田口祐三 裁判官 富塚圭介)

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